流星降下
「もしも星が落ちてきて、みんな死んじゃうとしたら、どうする?」
氷だけになった紙コップを名残惜しそうに弄びながら、隣に座る少女がぽつりと口を開いた。
「みんな死ぬの?」
「もしもの話」
真っ暗な空には小さな白い光と大きな赤い光がチラチラと瞬いて、ベンチに座る不思議な組み合わせの二人を見つめていた。疲れた様子の大学生くらいの青年と、彼の隣で足をぶらぶらと遊ばせる小学生らしき少女だ。二人とも手には自販機の紙コップを持っている。
二人を取り囲むのは淡く光る自販機、羽虫と戯れる街灯、剪定されずボサボサになった植木、広く大きな建物、点在するベンチ、アスファルトの地面、それから――。
「わたしはね、どうせなら……きれいな星がいいな。魔法みたい、って思いながら、空を見つめて死んでいくの」
「死ぬ前提で話進めるのやめてよ。俺、まだ死にたくないし」
少女はきょとん、とした顔でこちらを見つめ、少し遅れて笑いだした。
「ふふふっ……うん、そうだよね。そうだよね」
「それに、どうせみんな死ぬなら、俺たちが今日したこと無駄になっちゃうよ」
青年が、爪と肉の間に挟まって取れない土を見る。洗っても取れなかったそれを、刺青みたいと少女は言った。それだけではない。腕、足、背中、腹……普段使わない筋肉を使ったせいか、鈍い痛みが残っている。明日の筋肉痛は覚悟しなければならないだろう。夢か現か曖昧だった時間は、ちゃんと本当のことだと黒い汚れと全身の痛みが告げてくる。
紙コップの底に残った氷を勢いよく口の中に滑り込ませてバリバリと噛み砕いた。響く音がうるさい。頭が痛い。だが、その間は胸をざわめかせる全てが雑音の向こう側に消えていた。
「ムダじゃないよ」
少女が小さく囁く。雑音の中で、その声はやたらはっきりと聞こえた。
「ムダじゃないよ。だってわたしは、自由になった」
大きな両の目が青年を真っ直ぐに見据える。そして、顔に貼られたガーゼと青い痣も。
「けーさつの人にばれちゃうかな。うん、ばれちゃうよね。でも、いいの」
それから。
「おにーさん、巻き込んじゃって、ごめんね?」
申し訳なさそうな上目遣いで青年を見る。その様子が実に愛らしくて、庇護欲をそそられる。青年は頭を抱えると大きく溜め息をついた。
「君は、世が世なら希代の悪女になってたね」
「ほめてない」
「褒めてるよ」
むくれた少女を前にして、鼻の奥にこびりついた鉄の臭いが和らいだ気がした。
少し自暴自棄になっていたのかもしれない。けれど、そんなこと、もうどうだっていいだろう。
「ねえ、おにーさん。そんなわるい人だったらわたし、結婚できないね。……おにーさん、およめさんにしてくれる?」
「さあ、どうだろ……」
頭上に輝く赤い光が眩しい。
「君が大きくなるまで、俺達が生き延びてたらね」
「じゃあ、がんばって生きないとね」
よし、と意気込んだ少女は大袈裟な動きでぴょんとベンチから立ち上がると、少し離れたゴミ箱まで歩いていき、空の紙コップを捨てた。離れたことで全身が街灯に照らされる。よれた子供服。裾や首から覗く白いガーゼや包帯が夜にきらめく。
「これで俺たちは、共犯者だ」
家に隠したシャベルを思い返した。それから、荷物を運ぶのに使ったレンタカー。血痕や髪が残っているかもしれないダッシュボード、座席、トランク。タイヤに付いた土に、慌てて残してしまったかもしれない山中の下足痕。犯行現場の処理と、アリバイ作り。そして肝心なのは、警察がどれほど本腰を入れて捜査してくるか。
さあ、ここから一体どう動く。手の中の紙コップを握り潰した。
それにしても。
「自分の寿命を知った途端人殺しができるような人間だと思ってなかったなあ、俺」
「わたしも」
二人で笑いあって空を見上げる。真っ黒な帳に針で穴を空けたような夜空の中で、一際赤く輝く星が二人を見下ろしていた。
星が墜ちるまで、残り一年。