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ライト・トゥー・ビー・アンハッピー​

「戦争がしばらく無いでしょう、これじゃあダメなんですよ」

 

 装甲車の運転席に座った男は、この数時間で数度目になる話題を切り出した。

 地表の雪と土と瓦礫を巻き上げながら荒れた土地を進む。白く覆い隠されたかつての人類の威光を、灰色の厚い雲が圧迫感をもって天から見下ろしていた。

 男にとって二度目の「外」だが、何度見ても寒々としたモノクロの世界に背筋が寒くなる。車内こそ温度は調整され空気も浄化されているが、外は生身で飛び出すことなど到底不可能な死の世界だ。数時間前に後にした、鉄の空に覆われた安全で快適な故郷を思い出しながら、ろくに会話も続かず気まずい車内を取り繕おうと口を動かす。

 

 聴衆は後部座席に座る青年と少女の二人組。いずれも頭に白いものが混ざり始めた男よりもはるかに年下であるが、同時にはるかに上の階級の人間だった。別に彼らが特別な功績をあげたからと言うわけでは、十中八九、ない。単に「そう産まれたから」だ。

 だが、それに疑問を持つ市民は居ない。発生時から能力や特性が定められており、それに則した階級と仕事が与えられるのは当たり前だ。だから今、男は慣れた車を運転し、青年と少女はこれから危険が伴う任務に向かう。その危険が男にも降りかかる可能性もあるが、そこはそれ、二人が守ってくれることを期待する。

 

 身の安全のためにも機嫌を損ねる訳にはいかないという焦りと、沈黙に耐えきれない奇妙な重圧が原因となって、いつにもまして饒舌になっていたが、男自身がそれに気付くことはなかった。

 

「幼年学校からずうっと習ってきたじゃあないですか。社会は生き物だ。世界は生き物だ。我々はその細胞で……我々みんなでひとつなんだ。だからこそ、腐った部分は切り落とさなければならない。なのに、憎っくきスニエークの奴らは今も都市機構を維持していると聞く。前の空爆からもうしばらく経っているじゃないですか。奴らのスパイが潜り込んでいるとかいう噂も聞きますし……そろそろ次の戦いだ。そう思いませんか?」

 

 少女が「そうですね」とにこやかに相槌を打ち、青年は何も聞いていないかのように無言で窓の外を見つめ続ける。言葉と言葉の間の空白。常に鳴り響き、無いように扱われる車の駆動音。それがこの小さな空間の当たり前のようになっていた。

 そして、その当たり前が、初めて崩れた。

 

「……娯楽映像の328番を観たことは?」

 

 黙りこくっていた後部座席の青年が口を開いた。こちらを睨めつけるかのような目と、バックミラー越しに視線が合う。黒い制服に黒い防寒具。おまけに黒い髪。黒ずくめの見た目の中で、猛る犬を象った、統制局警察機構の所属を表す肩の金刺繍だけが存在感を放っていた。

 

「328番……というと……」

 

 今までろくに口を開かなかった青年が、こちらに質問を投げ掛けたということに動揺する。おまけに今まで話題にすら上がらなかった娯楽映像という内容。

 

 娯楽映像といえば、体感型の映像作品だ。専用の機械を頭に取り付け、映像だけでなく匂いや温度、触感までも、脳に信号を送ることで体感し、物語に没入して楽しむ。

 製作は通信局映像部。幼児教育に用いられるものから名前の通り大人の娯楽となるものまで揃えられており、シティの市民は全てこれを見て育っている。現在視聴可能なものだけでも種類は千以上にのぼり、さらに日々廃番と新番の新陳代謝が行われているため、正確な数字は分からない。

 そしてそれを、人口に膾炙した名作ならまだしも、そう有名でもないであろう作品をタイトルではなくわざわざ番号で言ってくるなど一種の嫌がらせではないか。

 

 男の頬を嫌な汗が流れる。これだから圧倒的な階級差は嫌なのだ。同僚相手ならば知るか、と笑い飛ばすところを真面目に考えなければいけない。心の中で悪態をついているうちに、青年は男の考えなど知らない顔で続けた。

 

「娯楽映像に珍しい幻想の類。近く廃番になるが。悪魔の誘惑に負けた男が怪物となり殺される話だ」

「は、はあ……私は見たことないですが……」

「遠く離れた都市への攻撃をいちいち気にしなきゃいけない位なら、いっそ都市の外にそんな怪物がいた方が刺激になったかもしれないな」

 

 男が返答に困って目を泳がせた。

 映像を見ずともわかる。内容を聞かずともわかる。娯楽映像の「お約束」。青年が言う映像における悪魔とは、都市に対する反逆者を比喩している。よりにもよって統制局の人間の前でその存在を肯定していいものなのか、そもそもどういう意図でそんな発言をしたのか、などと必死に頭を巡らせていると、

 

「今の、この人なりの冗句なんですよ。ま、いつも声色も顔色も変えずに言うせいで周りからの反応は最悪ですけど」

 

 青年の隣に座る白い少女から助け船が入った。青年と正反対の白い髪に白い上着、しかし中に着た制服の肩には揃いの金刺繍が入っている。「センスの悪い冗談はやめてくださいって言いましたよね? 聞いてます?」問い詰める声が車内に響く。

 

 たちの悪い冗談を眉ひとつ動かさず言い放つ奴が居るか!

 

 内心はらわたが煮えくり返る気分だったが、それを表に出すわけにはいかない。悲しきは階級差、さらにここは危険なシティ外。男の命はこの憎たらしい青年に委ねられていると言っても過言ではないのだ。

 思わず睨み付けたくなる青年の鉄面皮に向かって必死に笑顔を装う。

 あはは、と男が乾いた笑い声をあげ、青年は不満げに眉を寄せる。そんな車内の空気の悪さに少女がやれやれ、とでも言いたげな表情を浮かべた。

 

「い、いやあ、驚きました。監察官の方でもそんな冗談を仰るとは」

「……あまり言いふらさないでいただけるとありがたいです」

 

 なんとか捻り出した言葉は自分で聞いてもうわずって震えており、いかにも不機嫌な態度が返ってきてもおかしくない状況で、調整不良の不味いレーションを飲み込んだかのような苦い顔の少女を見て男は少しだけ緊張が解けるのを感じた。

 監察官といえば都市秩序の番人、列から外れたモノを猟犬のごとき執拗さでその喉笛を喰いちぎるまで追いかける、ルールの体現者だ。

 

 尊敬を集める立場であると同時に、恐れられる近寄りがたい存在。その彼らが黒いジョークを吐いたりコロコロと変わる表情を見せるなど、誰が想像できたか。抱いていた理想が壊れた一方、思いもせぬ一面に、男はほんの少しの親しみを覚えた。そう。ほんの少しだけ。

 

「そうだ、ナンバーを伺っても? 監察官殿、では少し呼びにくいですから」

「私は監察官、で構わない」と言おうとした青年を少女が肘で突き、黙らせる。

「失礼ですが、拡張視界は?」

「私のは旧式ですからね、都市から離れると機能しないんですよ。前回初めて出たときも苦労しましてね、だからナンバーひとつ知るにもこうして口で聞かなきゃならない。こいつのデータは直接繋いでるので見えてますけどね、全く、旧時代に戻った気分ですよ」

 

 ポンポン、と使わないハンドルを叩く。自動運転に設定されたハンドルが、行き先を示すように細かく動いていた。男の首の後ろのには車に繋がるコードが挿されており、振動に揺れている。

 

「……なるほど。都市の中では問題ありませんが、今後このように外に出る仕事も増えますから、早めに手術を受けた方がいいですね。よろしければ、私の方で局に予約を取り付けておきますが」

 

 反応までに奇妙な間があったのは、恐らく男が本当に旧式の世代であるかを検索していたのだろう。

 じわりと手に汗がにじむ。

 つい先程抱いた親しみの感情を、気のせいだったと自分に言い聞かせる。迂闊だった。この緊張で思い出した。彼らに信用されているなどと思ってはいけない。彼らは猟犬だ。飼い主の笛ひとつで、先程まで笑顔で会話していた人間を殺せる。

 男は、それを知っているはずだった。

 

「いえ、監察官殿のお手を煩わせるまでもないですよ。この仕事が終わったら予約することにします」

 

 わかりました、とにこやかに返し、そうそうナンバーでしたね、と少女が呟く。

 

「私はL-111-t、1をlとiに見立ててリリト、もしくはリリスと呼ばれています。こっちの黒いのはK-123、通称ケイです」

「へえ、珍しいナンバーですね」

 

 男に繋がれたコードが震え、同時に何かを避けようとしたように車体が大きく揺れる。

 

「おっと、失礼しました」

「いえ。……仕事の都合上、色々とありますので」

 

 偽装ナンバー。

 出瓶時に与えられた識別番号を略すことは許されても、偽ることは禁止されている。だが、それにも例外があるということなのだろう。

 

「ええ、わかりました。大丈夫です。何にも言いやしませんよ」

 

 そう言いつつも、男は何か相手の弱みを握ったような奇妙な感覚を覚えていた。


 

―――


 

 世界は目に痛い白色だ。

 ガシャン、と音をたてて男が装甲車から降りる。

 全身を防護服で覆い、顔には無骨なガスマスクをつけ、万一にも外気に触れないように細心の注意を払う。そして、慣れないブーツと足元の雪に注意を払いながら先に降りた監察官たちを探す。キュッキュッと悲鳴をあげる地面を踏みつけながら、男はあるものを思い出していた。

 

 幼年教育で必ず見せられる映像がある。

 身一つで外の世界に放り出され、広い大地を駆け回るネズミの動きが、やがて鈍くなり、痙攣を始め、ゆっくり死んでいく。外の危険性を子どもたちに刷り込むための映像だ。

 これを繰り返し見せられ、多くの子どもが知らず知らずに白と黒で表現できる広大な世界に恐怖心を抱く。自分の安寧の地は鉄に覆われたシティにあると、その人の根幹に刻まれる。

 それは男も例外ではなかった。

 

 子どもが飽きて転がしておいた玩具のように無造作に倒れ、雪に覆われたビルが所狭しと並んでいる。足元には細かい瓦礫や千切れた何かの配線が罠のように敷き詰められており、一歩進むのもおぼつかない。

 かつて人類が地上の全てを支配していた証。何代も前の人々は、これを見て悲嘆にくれたという。しかし、それを知っていても特別な感情は起こらなかった。

 外の空は高すぎるし、こうも広いと何もない空間が多すぎて気持ちが悪い。それに、外は風や雨や雪といった気候に直に晒されるなんて、そんな非文明的なことはあり得ない。

 

 それになにより、外での居住を不可能にしているのが、大気中の毒素であった。

 男は毒素がどこから来たものか知らない。おそらく、戦争で撒かれたものだろう。ひょっとすると、スニエークの連中がばらまいたのかもしれない。

 

 まあ、今はどうでもいいことだ。

 

 もし防護服が破れでもしたら――。そんな不安に気付かないふりをして、男は先に出た二人組を探した。




 

 すぐに、少し離れた所で話す二人が見つかった。

 慣れた手付きで何やら機械をいじっている。時折虚空に手をかざし、男には現在見えていない拡張視界でデータの確認を行っていた。

 

「お待たせしました。すみません、慣れないもので」

 

 声をかけたが、それよりも早くから男が近付いてくることを察知していたらしい。特に驚いた様子もなく、ケイがこちらを向いた。

 

「……では、これより任務を開始する」





 

 事前に説明を受けた作戦を再確認する。

 内容はブリーフィング通りだった。

 監察官の二人が探索、及び「荷物」の回収。男の役目は万一に備えた見張りと帰りの車の運転。ただし、男には「荷物」が何なのか知らされていなかった。

 

 知らされないということは下手に詮索しない方がいいということだ。好奇心を殺し、何も言わない聞かないように努める。もし訊ねて答えが返ってきたとしても、それは機密事項扱いになるだろう。すなわち、誰にも話してはいけない。

 万一誰かに話してしまったときのことを考えると、そんな爆弾をわざわざ抱える気にはさらさらなれなかった。

 

 だから、男は何にも触れず、ただ二人を待っているだけのはずだった。都市の外に出るという恐怖を味わい、それで全て終わりのはずだった。

 

 そう、「それ」に今、出会わなければ。

 

「事前に伝えた通りだ。俺たち二人で片づける。地形スキャンの結果、都市の所有データと大きく違うところはない。毒素濃度は変わらず。また念のため生命体の確認も行ったが、結果はゼロ」

 

 淡々と告げられる事実が、人類が地上の支配権を失ったという現実を突きつける。

 

「もしもこの先――」

 

 その時。動くものが視界の隅に走った。

 小さく、かといって小動物ではない、ある程度の大きさ。

 

 子供……?

 

 色素の薄い髪と白いコートが雪に紛れて見づらかったが、遠くに見えるそれは、たしかにそれはまだ幼い子供に見えた。

 そう、子供だからつい油断してしまったのかもしれない。動揺してしまったのかもしれない。

 

 防護服も何も着けず外を歩くという異常性に気付くことなく。

 

「ケイ監察官! 今、そこに、子供が」

「ああ、その通りだ」

 

 ケイは何にも動じていなかった。少なくとも男の目からはそう見えた。

 普段通りの、食事を口に運ぶような気軽さで。

 いつの間にか手にしていた拳銃の引き金を絞った。

 

 銃声。

 

 男が止めるよりもはるかに速く。吸い込まれるかのように正確に子供の脳天へ直撃した弾丸が、目に痛い赤色をまき散らして視界でチカチカと爆ぜる。

 

 血を見るのはほぼ初めてだった。

 子供を撃ったという事実。目の前で人が血をまき散らして死んだという事実。それを、目の前の監察官が行ったという事実。どれもが男がには大きすぎた。怒りや悲しみ、恐怖はなぜか湧き上がらず、ただぼんやりと、都市への帰還後にセラピーの予約を入れなければ。それだけが頭の中にあった。

 

 腰を抜かし呆然とする男と、その隣に平然と立つリリスを置き去りに、ケイが態度一つ変えずに肉塊となったモノに近付く。

 銃弾をもう数発撃ち込み骨を小さく砕くと、破片をつまみ上げ腰に付けた小さな機械を取り出す。誰がどう見てもいやに手慣れた動きに疑問を挟むものはその場に居なかった。

 

「……『もしもこの先動くものを見たら、奴らだと思うように』……安心してくれ。ただの機械人形だ」

 

 監察官に支給される黒い手袋を赤く染め、手に持った骨を放り投げる。空中で指を動かすと、(拡張視界が機能しない男には見えなかったが)対象が機械人形であったという検査結果が表示された。

 

「いや、あんた……壊してから確認してなかったか」

 

 男が思わず消え入りそうな声で口を挟む。無礼な物言いを口にしてから深く後悔したが、ケイは特に気にした様子もなかった。

 

「そうだな。しかし、機械人形と人間の区別は一瞬でつくものではない。それに事前のスキャンでこの辺り一面に生命反応は無かった。確かにそう言ったはずだよな?」

 

 顔が強張っているのが分かる。今だけは頭を覆う鬱陶しいマスクに感謝した。

 

「――何か問題でも?」

 

 マスクに覆われわずかに見えるケイの目は、純粋な疑問しか湛えていなかった。

 絶句する男に追い討ちをかけるように、一言付け加える。

 

「それに、俺がいちいち確認してから攻撃してたら、可哀想な男の死体が一つ、できていたかもしれないしな?」

 

 鉄面皮が崩れる。

 マスク越しでも声色でそれと分かった。厚い防護服の中で男の膝が震える。一瞬のうちにケイの態度は元の無愛想な面に戻ったが、男の背筋は凍りついたままだった。

 

 狂犬めが。

 

 誰にも聞かれないように放ったであろう男の小さな声は、残念ながらケイの耳に入っていた。



 

「気にしないで大丈夫ですよ」

 

 背後から唐突に声がかけられる。ひとり言が聞かれたかと動きがぎこちなくなる男に気付いてか気付かないでか、困ったような声でリリスが話しかけた。

 

「あの人、きっとあれしかコミュニケーションの取り方を知らないんです。私が初めて会ったときもあんな調子でした。全く、なんて態度の悪い人間だと呆れましたよ」

「聞こえてるぞ」

「聞こえるように喋ってますから」

 

 ケイの文句にわざとらしく声を張り上げる。防護服を着てさえいなければ、おそらくにっ、と歯を見せるリリスの顔が見られたはずだ。年相応の、可愛らしい少女の動き。

 だが男は、つい先ほど車内で抱いた親しみを、やはり錯覚だったと思い直すことになる。

 

「でも本当、あんなの脅しにもなってないですから、軽く流してやってくださいね」

 

 白い少女は、きっとマスクの内側で、はるか昔の絵画にみられる慈母のように優しく微笑んでいただろう。


 

「だって、誰が死のうと、それがどのような階級の人間であっても、等しく代わりが存在するのが今の時代ですから」

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